私は千葉県で生まれ育ちましたが、父親が新城市西新町の出身で、祖父母が西新町で柿田医院と言う医院をやっておりました。生まれて7ヶ月くらいの時に母が病気をし、入院したため、私は0才〜1才にかけての約7ヶ月間、新城の祖父母のもとに預けられました。その影響もあってか、その後も私は本当に新城が大好きでした。遊びにくれば祖母が私を連れ歩き、ご近所さんに「あの時の赤ちゃんだよ」と言う感じで紹介してくれました。
夏になると毎年家族で新城に遊びに来て、当時はまだ遊泳が禁止されていなかった桜淵で泳いだりして毎日遊び、休みが終わる頃には真っ黒に日焼けしていたものです。私が19才の時に、大好きだった祖母が亡くなってからは新城を訪れる頻度は2〜3年に1度と減ってしまいましたがそれでも、中宇利にある祖父母のお墓に参ったり西新町の家を掃除するために、定期的に新城には遊びに来ていました。
しかし、訪れるたびに、思い出がいっぱいのお店などが次々と消え、来る度に寂しくなっていく新城を、とても悲しい気持ちで眺めていました。そして次第に、私も新城のために何か役に立ちたいと言う思いを強く抱くようになりました。そして2015年、10年間住んでいたイギリスのロンドンから主人と娘と3人で、新城に引っ越す決意をいたしました。
当初は、新城市内のビジネスや情報などを一括して見ることができるようなシステムを、ITプログラマーである主人と一緒に作り、新城の活性化に役に立てたいと思いスタートしたのですが、初めてのことでうまくスタートに至らせることができず、それからは、来たお話は全てお受けすると言う姿勢で、少しでも自分にできることをしようと思い、ニューキャッスルアライアンス実行委員や英語関連のボランティアなど、地域活動に参加させていただいておりました。
市外・国外に住んだことがある私から見ると、新城は素晴らしいものを沢山持っています。けれど今の時点では、それらがしっかり活かされているとは言い難い、むしろどんどん消えていっていると思います。新城が持っているものをしっかり活かし、新城に住む人みんなが新城市民であることに自信を持てるような街づくりのお手伝いをしたいと思っています。